厳しさの中に何があったのか

この春、飲み仲間の方のお孫さんがご進級されるとのことで、学校の話題でひとしきり盛り上がりました。
「昔はこんな先生、よういたよなぁ」
そんな懐かしい話が次々と出てきます。
出席簿の角で頭を叩く先生。
問題が解けない生徒を、皆の前で長時間立たせる先生。
依怙贔屓が甚だしく、あからさまに態度を変える先生。
今なら問題視され、すぐに処分の対象になってもおかしくないようなことが、昔は当たり前のようにまかり通っていた時代がありました。
もちろん、素晴らしい先生もたくさんいらっしゃいました。
けれど一方で、「先生」という立場にあぐらをかき、自分を特別な存在だと勘違いしていたような教員も、少なからずいたように思います。
そんな中で、Aさんが話してくださった昔の思い出が、私にはとても印象深く残りました。
Aさんが商業科で学んでおられた頃、当時はそろばんや計算の授業が重きを置かれていたそうです。
Aさんは何度も何度も課題を提出するのですが、そのたびに先生は無言で答案を突き返す。
何が違うのか分からない。
泣きながら計算し直しても、答えは合っている。
それでも受け取ってもらえない。
けれどある時、ふと気づかれたそうです。
「数字にカンマが入っていない・・・。」
そこで、きちんとカンマをつけて再提出すると、先生は今まで一度も見せたことのないような笑顔で、その答案を受け取られたのだとか。
今の時代なら、 「そこは教えてあげたらいいのに」 と思う方も多いでしょう。
実際、手取り足取り、丁寧に教えることが求められる時代です。
分からない子を置いていかない。
傷つけない。
取り残さない。
それはとても大切なことです。
けれどAさんは、その出来事を恨みとして語られたのではありませんでした。
「あの時の指導のお蔭で、会社勤めを始めてから経理の力をとても評価してもらえた。だからあの先生には感謝しているし、あの笑顔は一生忘れない」
そう仰ったのです。
なるほど、と思いました。
昔の指導には、確かに乱暴さも不親切さもありました。
今の価値観で見れば、到底許されないことも多かったでしょう。
けれど、その厳しさの中で、自分で考え、自分で気づき、自分で身につける力が育った面も、確かにあったのかもしれません。
料理の世界でも、かつては 「技は見て盗め」 「鍋底に残った汁を舐めて味を覚えろ」 そんな教え方が当たり前のようにありました。
今では考えにくい話です。
時代は変わりました。
そして、それで良いのだと思います。
ただ、優しく丁寧な指導が当たり前になった一方で、教わる側の姿勢にもまた変化が出てきたように感じます。
先生を敬わない。
教わる立場でありながら、相手を軽んじる。
そんな話を耳にすることも増えました。
もちろん、先生を持ち上げて祀り上げよと言いたいのではありません。
けれど、自分より多くを知り、経験を重ね、教えてくださる方に対しては、やはり一定の敬意があって然るべきではないでしょうか。
そして同時に、教える側もまた、自分の立場に甘えることなく、上から押さえつけるのではなく、ひとりの人間として節度を持って接していただきたいものです。
教える側にも礼節を。
教わる側にも敬意を。
本当に必要なのは、どちらか一方が偉いということではなく、その事柄を習得するという目的の人どうしとして向き合う姿勢なのだと思います。
時代が変われば、教育の形も変わります。
厳しさの意味も、優しさの意味も、少しずつ塗り替えられていくのでしょう。
その中で大切なのは、ただ甘いだけでも、ただ厳しいだけでもなく、相手の成長を願う心があるかどうか。
そこに尽きるのかもしれません。
Aさんのお孫さんが、この春、新たな学びと出会いの中で、たくさんの経験を重ねて健やかに成長されますことを、心よりお祈り申し上げます。
ご進級、誠におめでとうございます。