帰宅途中、スーツケースを引いた女性に声をかけられました。
「すみません! 旅館〇〇はどこでしょう?この近くだと思うのですが…」
スマートフォンのナビは確かにこの周辺を示していましたが、
表示されている建物には見覚えがありませんでした。
その時、ふと違和感を覚えました。
この“ちょっとしたズレ”を見逃さなかったことが、
改めて調べ直してみると、やはり場所は大きく異なっていました。
夜の住宅街で、初めて訪れる方が辿り着くには、
結果として、
道中、いろいろとお話を伺いました。
「ホテルが全然取れなくて…
中心地から電車で30分ほど。
決して近い距離ではありません。
“選んだ”というより、“選ばざるを得なかった場所”。
そこには、すでに小さな迷いが生まれていたのかもしれません。
そして、その迷いは現実の道にも表れていました。
ようやく辿り着いた場所は、民泊でした。
看板がなければ、まず気づくことはできません。
しかも、夜ですので、その看板でさえも見辛いのです。
「助かりました、ありがとうございます!」
そうおっしゃっていただいた時、
何か特別なことをしたわけではありません。
ただ、必要なところに手を差し伸べただけです。
それでも人は、なぜこれほど満たされるのでしょうか。
これは単なる親切ではなく、もっと根源的なものだと感じます。
人は、自分の存在が誰かの役に立っていると実感した時、
最も深い部分で満たされるのではないでしょうか。
逆に言えば、
どれだけ物に恵まれていても、
どれだけ評価を得ていても、
「誰の役にも立っていない」と感じた瞬間、
人は途端に虚しさを覚えてしまいます。
現代はとても便利な時代です。
道に迷えばナビがありますし、
分からなければ検索すれば答えは出てきます。
それでもなお、人は迷います。
なぜなら、
本当に迷っているのは「場所」ではなく、
「判断」や「選択」だからです。
今回の女性も、最初に違和感を感じていらっしゃったはずです。
しかし、それをどう扱えばよいのか分からず、
その場で立ち止まってしまわれたのではないでしょうか。
そこに、ほんの少しだけ外からの視点が加わる。
それだけで、人は前に進めるようになります。
これは日常においても同じことが言えます。
人生においても、
「何か違う気がする」
「けれど、どうすればよいか分からない」
そのような状態の時、人は一人では抜け出しにくいものです。
だからこそ、
誰かに話すこと
客観的な視点を取り入れること
それが、次の一歩へと繋がります。
人は誰かの役に立つことで満たされます。
そして同時に、
人は誰かの助けを借りることで、前に進むことができます。
その両方が循環しているからこそ、
社会は成り立っているのだと思います。
あの夜、私はほんの少しだけ「役に立つ側」でした。
しかし、きっと別の場面では、
私自身も誰かに導かれているのでしょう。
そう考えると、
人と人との関わりは、実にありがたく、
