悲しい一期一会

大阪メトロの北方面行きは、箕面萱野が終点です。

ところが、新大阪止まりの電車が到着しても、目を閉じたまま座っていらっしゃる方がいました。
「この電車は新大阪止まりですよ」
そうお声をかけると、その方はたいそう感謝してくださいました。

次の箕面萱野行きの電車が来るまで、ホームでしばらくお話をすることになりました。

「僕、余命半年なんですよ」

その方は、まるで明日の天気でも話すかのように、さらりとおっしゃいました。
思いがけない言葉に、私は少し驚きましたが、そのままお話を聞かせていただくことにしました。

次の電車を待つ、ほんの10分足らずの時間。
不思議なほど穏やかな時間が流れていました。
まるで、いつもの鑑定所でお客様のお話に耳を傾けているときのようです。

ご自身のお仕事のこと。
先に旅立たれた奥様のこと。
そして、これから迎える最期の日々に向けた、身辺の整理のこと。
そのお話は驚くほど冷静で、見事に整理されていました。

やがて次の電車が到着し、私たちは一緒に乗り込みました。

本当なら、私は次の駅で降りるはずでした。
けれど、どうしてもお話を途中で遮ってはいけないような気がしたのです。
私は何も告げず、その方が降りる駅までお付き合いすることにしました。

見ず知らずの人間に、話さずにはいられなかったのでしょうか。
それとも、ご自身が生きてこられた証を、誰かの記憶に少しでも残しておきたかったのでしょうか。
その真意は、私には計り知れません。
ただ、その方のお話は途切れることなく続きました。

やがて、目的の駅に到着しました。

「僕、エレベーターこっちなんで。では、失礼します」

あまりにも自然な、別れの言葉でした。

「みんなのために、たくさん大きなことを残されて、すごいですね。どうぞ、お気をつけて」
私には、それが精いっぱいでした。

どうぞ、ホテルまでお怪我なくたどり着けますように。

どうぞ、いつか亡き奥様と無事に再会できますように。

そして、どうぞ、一日でも長く穏やかな時間をお過ごしになれますように。

たった一言の「お気をつけて」に、こんなにもたくさんの祈りを込めたことが、かつてあったでしょうか。

けれど、その想いのほんの少しも、言葉にはできませんでした。

遠ざかっていく、その方の細い背中。
見送る私に秋風が吹きつけ、頬を伝う涙を、いっそう冷たくしていきました。


もし、私自身が余命半年と告げられたなら。
あの方のように、淡々と自分の人生を語ることができるのでしょうか。

そして、なぜ、あの方は私にお話しくださったのでしょう。

いくつもの問いが、頭の中をぐるぐると巡ります。

やがて、現実へと引き戻すかのように、電車は私の最寄り駅へと戻っていきました。

一期一会。

普段は、人との出会いの素晴らしさを表す言葉として使うことが多いように思います。
けれど、こんなにも悲しい一期一会があることを、私は初めて知りました。

あの時間は、いったい何だったのでしょう。
その答えは、今の私にはわかりません。
ただ、あの方が生きてこられた人生の、ほんのひとかけらを、私は確かに受け取ったのだと思います。
そして、もう二度とお会いすることはないかもしれない、その方の細い背中を、きっと私は忘れないでしょう。

「もう、ホテルに着いたかしら?」

そんなことを思いながら、私は静かに改札を出たのでした。